おひとりさまが気楽に生きる術

次々に災難を引き寄せるばかりだった私が、幸運を引き寄せるまで

孤独死の遺族に

 

高齢者

20年ぶりに交信のあった父

 

 

 

平日の昼下がりでした。午前中の用事を済ませた私は、パソコンに向かい、作業を始めようとしていた時に携帯がなったのでした。 当時、母も元気でしたので、一緒にお昼を食べ終えてリビングにいました。 どんよりと曇っていたことをよく覚えています。 どうでもいいことですが、忘れられない日です。 当時はまだスマホがメジャーではなく、ガラ携でしたが、ディスプレイには知らない番号が表示されていました。 番号から地方だとわかりましたので、恐る恐る出てみたのです。

”もしもし”

 

”・・・さんの携帯ですか?こちら○○警察です。○△さん、ご存知ですよね?”

それは、20年前に別れた父の名前でした。

”はい”

"お父さんですよね?”

なぜ知っているのか、変な気がしたため尋ねたところ 戸籍から調べたと言われました。 そして警察の人の口から ”お父さん亡くなられたんですよ”

 

 私は、椅子から滑り落ちました。

力が完全に抜け落ちた感じでした。

 

父は、既に亡くなっていて少なくとも1ヶ月は経っていること、部屋が荷物が散乱していて足の踏み場もないこと、などを説明してくれました。

そして事件性はないということも添えてくれました。

 

父は自分の部屋で、ひとり亡くなっていたのでした。

両親は20年前に離婚しており、私たちは父とは一切会うどころか、連絡ひとつ交わしたことがありませんでした。

私が結婚することになった際、弁護士を通してその旨を伝えました。

離婚の条件に一人娘の結婚費用を出すことなどという文言を盛り込んでいたからです。

でも、父からの連絡はありませんでした。

 

父のことは、別の機会で触れようと思いますが、本当に大変な人でした。

モラハラパワハラ、DV・・・。

高度成長期を駆け抜けた彼は、当時30代にしてスピード出世し、自分で頂点を極めたと錯覚していたようですから、経済的にも精神的にも、とても怖い存在でした。

 

離婚裁判が結審した時にも、私の結婚する際は費用をという話になった際、父の口から出た言葉に、その場にいた裁判官含め父側の弁護士まで呆れたとか。

 

”祝い金か?(を出すのか)”

 

実の娘、しかも一人娘が可愛くないのかと裁判官に言われたのだとか。

 

裁判所の廊下の椅子の座り、裁判が終わるのを待っていた私。

突然勢いよく空いた扉から、二人の初老の男が出てきたのを今でも鮮明に覚えています。ハンティングワールドの小型ボストンバッグにスプリングコート。相変わらず高価な出で立ちのその男は、まさしく自分の父だっったから。

そして、私には目もくれず、

エレベーターホールに向かい、下へいくボタンを力まかせに押しているのでした。

悔しげに。。

ボタンを押す音は、誰もいない裁判所の廊下中に響いていました。その音は、私の耳に未だに残っています。

 

その姿が、父をこの世でみた最後の姿となりました。

本当にこれが娘と父親の最後の瞬間だったのです。

 

 

 

私があっけに囚われていると、母と母の弁護士が部屋から出てきました。

娘の私を無視して行ってしまった父に、あらためて呆れ果てている母の方に呆れていた私でした。

だって、そういう人じゃないの!!!あの人は。

 

わたしの気持ちを組んでくれたり、優しく頭を撫でてくれるような父ではありませんでした。

ただ、母がいないところで、面倒見の良い面もありましたが・・・。

 

そんな父でしたので、私も20代の前半まで、父のパワハラやDVの夢でうなされることも少なくありませんでした。

でも夢を見ることで癒しているのだと教えてもらったことや、バブルで楽しすぎた、遊びすぎた私が、父の夢を見ることもなくなりました。

そして、親となった自分は、父に対する憎しみなどは全くなくなり、なんとも思わなくなって行ったのです。

 

そして長男が生まれ、長女が生まれ、母と暮らし安定した毎日を送っていた私でした。

 

父と復縁する時がきました。

それは、長男の幼稚園で敬老の日に一枚のハガキを祖父・祖母に出すという企画があって、長年会っていない父に、ほぼほぼ亡くなっていてもおかしくない高齢となっているので、子供の名前で出して見ることにしました。

 

住所がわからないと役所に勤める友人に相談すると、アドバイスをしてくれ、すんなり父の住んでいる住所を得ることができました。

両親が離婚していても、実の娘ですから、問題はありません。

 

ハガキを送ってからまもなくして、父から返事が届きました。

嬉しかったと書かれていました。

もともと男の子が欲しかったと母が話していたように、孫息子の存在は嬉しかったようでしたので、二人の写真を送ってあげました。

 

その手紙が

亡くなった父の枕元にあったことで、警察から私の携帯に連絡してきたのでした。

 

私たちはその日のうちにチケットをとり、最終便で父の遺体を安置している警察署へと向かいました。

航空会社で直接とった当日チケットだったため、恐ろしく高い料金だったことは、いうまでもありません。

 

・・・続く