おひとりさまが気楽に生きる術

次々に災難を引き寄せるばかりだった私が、幸運を引き寄せるまで

怒りのまま

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なにを思っていたのか

母は私たちに対して、不満ばかりで怒りをぶつけていたのか、病気がそうさせたのか、謎のまま亡くなってしまった。

今にして思えば、病気だからと思えるが、例えば同じ状況をまた繰り返すのであっても、同じように戦いが起きていたのかもしれないと思う。

 

少しだけ、優しくできるかもしれないとも思う。

 

本当に、彼女が大変だったのは、マダラだったこと。

まだらボケですね。いわゆる。だから、他人にはわからない。わかりづらい。でも、介護をしていた人なら、その表情、仕草、言葉の言い回しですぐにわかるそうです。

実際に、ご近所で仲良くしていただいた方から、実は、言わなかったけど、認知なんだなぁと感じてましたと後から言われたことがある。

 

 

認知症を家族に持たない、知らない人は、全くわからないのだ。

母をまともな人と扱ってくれるのは、とてもありがたかったのだが、

母の言う私たちの想像を絶する苦情を真に受けてしまう近所のおばちゃんには、相当参った。本当に、彼女のことも一生忘れないと思う。

むしろ、彼女のことも心配だ。

母と一緒になり、おかしな行動をしていたからだ。

他人のうちの母親を銀行に連れて行く。ATMに連れて行ってお金を引き出してあげると言うのだから。

まして、娘の私が同居しているのに、わざわざ年寄りを銀行まで連れて行く神経がわからなかった。お断りしても、次の日にやってくる、そんな近所の人がいたら、

どう対処しますか?

 

まかり間違えば、犯罪。でも資産家の未亡人。悪気がない、常識がないだけなのだ。だから、面倒臭い人だった。

私たちが母を置いてきぼりにし、私たちだけで引っ越すとか、めちゃくちゃな空想にお付き合いいただき、ご苦労様なことだと思う。

 

 

 

 

共依存していた二人

 

母は、退院しても、急に彼女を思い出し、ヘルパーさんにメモを渡すのだった。

遊びに来てください。話す人がいなくて。と。

それをみた私は、本当に情けなくなった。

彼女とのことでトラブルになり、母と私たちの家族のあらゆることを、近所に噂を流していた彼女を未だに慕っている母。いくら認知といえど、怒りに苦しんだ私でした。

 寂しさから、繋がった二人だったのだと思う。

でも、二人が大変迷惑だった行為は、自分たち以外の助言を話を聞こうとしなかったこと。冷静に私からの説明を聞こうともしなかった二人。

母と彼女は似ているのだ。

 

母は、認知症が大変だったのではなく、また鬱が大変だったのでもない。

本来の頑固な性格が

私たち家族にとってかなりの負担であったのだ。

特に、私はこの頑固さに振り回され、自分の精神面に暗い傷をつけられたように、未だに忘れられない。

母のことは、許しているが、あの頑固な母とは、もう2度と会いたくないのが本音である。

 

1番大変だった時、母が出歩き、まだらで見かけ上はまともに見えたおばあさんだった時が、精神てきに大変でした。

その後、オムツを変えたりというお世話なども大変ではありましたが、近所にあらぬ話をしに行ったり、私たちの苦情を行って泣きついたりと言う行為が一切なくなっただけ、とても精神的に楽になったのでした。

悲しいことに・・・。