おひとりさまが気楽に生きる術

次々に災難を引き寄せるばかりだった私が、幸運を引き寄せるまで

老人性うつを患って

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入院させました

お金や家族以外知られては困るようなことがご近所へダダ漏れしている状態が続きました。あまりにも私たち家族とトラブルが続いたため、地域包括センターに相談したところ、家族と分離させることを強く勧められました。

母と対立した人間が未成年の孫だったためです。

どちらも保護するというスタンスなんですね。役所は。

包括センターの担当者が見つけてきた病院は、いわゆる”老人病院”でした。

介護の延長というか、特養などに入れない人が仕方なく?入る場合もあります。家族はいくらか楽になります。

候補に上がった病院は、以前、認知症の伯母のための落ち着き先を探していたころ、母と見にきた病院でした。伯母はこの病院には入院せず別のところへ入院しましたが。

皮肉なもので、母が今度は入る立場になってしまったのでした。

 

 

病院とは事前面談をしました。今までの健康診断の写しや、ケアマネさんなどの所見を持参し本人の不在なまま受診という形をとるのです。

 

いつでも入院させられますとのことだった。入院費は以外と安く、母の年金でも払っていかれる料金でした。ただ長期に渡ると寝上がっていきます。

それは、老健施設など3ヶ月で退所させられるところや、病院でも3ヶ月で退院させられるところが多いからなのだと感じました。

 

 

 

外堀は固まりました。

でも、どうやって本人を連れて行くの????

それが、恐怖です。怒り狂うことは目に見えていたからです。

実際、ご機嫌の良い時を見計らって、診察に行くということを本人に伝えます。

何日も前から言っておいても、忘れてしまう。当日言えば、もっと早くに言って欲しかったなどと文句を言われます。用事など何もない暇人のくせに。

私だって、都合があるのよ!と。

前から説明していたというと、聞いてない、言ったつもりになっているだけなどと、こちらの勘違いやこちらが悪いというスタンスは、ボケる前からの母の常套手段。

 

病院へは、車で1時間ほどの距離でした。

なぜか息子がついてきてくれました。学校はサボったのか、今となっては定かではありません。。。

 

院長先生が診察し、すごく不機嫌な母は、目がつり上がり般若のごとく怒ってきています。

帰して!何が?そんなこともわからないの?

質問に質問で返す感じです。

ではという掛け声のタイミングで、母は廊下に出て、私たちは診察室に残りました。

病棟へ連れて行くため看護師数人が迎えにきたのです。

その時です。

私の方を睨み

 

”騙したねー!覚えてろ!・・・”などと

罵倒し暴れ、男の人も抑えるのが大変そうでした。見ていられず、視線をそらした私たち。あの時の恐怖は今でも忘れられません。

また親を捨てにきたような感覚で、嫌な気持ちでした。

 

私たちに裏切られたとか、あいつらがおかしいとか、ひどいことをされ続けてきた、もう子育ても楽になってきたから、私を捨てるなどなど、

まともな人間の言葉に聞こえます。

また、私からすれば、これって本音かなと。

こんな風に母は私のことを見てきたのだ。信じられてなかったのか。孤独だったのだろうと今は思えますが、その時は、さすがにこのような言葉を浴びせられ、落ち込みました。

いらないから捨てるんだと、本当に、そのようなことをする娘がどのくらい世の中にいるのだろうか。

そんなことをして捨てるのだったら、自分の持ち出しになるような入院などさせずに、家で母を監禁するのではなかろうか。

 

この日から1年間、私は一度も母を見舞うことなく、精神的に解放されるのでした。

一人娘の私が、母と1年以上連絡も取らず顔も合わさないなど、この入院以外はなかったことです。私がシアトルへ留学していた時でさえ、電話や手紙でコミュニケーションは取れていたのだから。。。。

 

もう母とはずっと距離をおいていたいと思い、暮らす日々でした。