幻想と事実のループに巻き込まれる家族
本人はまともなつもり
母も同居の家族もだんだんと何が本当のことか、わからなくなってきました。
私たちサイドにとって、この時期が一番辛い時期だったのだと思います。
テレビを見てご飯を食べてお洗濯もできる。一見、何も変わらないように見える母の姿は、他人には全く変わらない、むしろ元気なおばあちゃん、家族にいじめられているおばあちゃんに映っていました。
介護の経験がない人は、特にわからないのだと思います。
母がこうなる15年ほど前に、母の姉である伯母が老人性うつと認知症で介護状態に入りました。
若い頃に連れ合いを亡くした伯母は、病気の息子と二人暮らしでしたので、何から何まで家族として助けなければなりません。
母と二人三脚で役所への介護申請や病院の手配をしておりました。
同時に伯父、伯母の息子もガンなどで入院となり、多重介護生活になった時期もありました。それでも今から思えば私も若く母もいたので苦しみも分かち合えていました。
建設中の特養に申し込みを出しに言ったことが昨日のように思い出されます。
この特養とはご縁がありました。
伯母が亡くなった3年後に順番が回ってきた旨のご連絡をいただきましたが、それから10年後、母がお世話になることになるとは、この時知る由もありませんでした。
頑固さが命取りに
若い頃からの気質は頑固。伯父からもお墨付きをもらうほどの頑固な性格でした。
病院に行くよう話しても、素直に応じるわけがありません。
逆に私たちの方がおかしい、キチガイだと言われる始末。
ここが重要な分岐点だったのです。
家族が精神疾患を患っていると思われる時、その家族を病院へ連れて行くこと
一番難しいことのひとつであり、大切なことである。
子供の場合も同様です。
小学生ならまだしも、中学生以上の大の大人を病院へ連れて行くことは、結構大変である場合が多いのです。
首に縄をつけて無理やり連れていければいいのですが。
連れて行こうとする人間に屈強な男性が周りにいれば別ですが、大体が年老いた親、女親が多いのです。
認知症にも人それぞれ症状が違いますが、初期状態やうつ病も患っている場合、町のお医者様ではわからない場合も少なからずあります。
なんとか母を病院へ連れて行こうと専門の先生を見つけました。
介護ステーション併設で、介護のことはなんでも相談!とうたっている内科でしたので、わかっていただけるかなと期待しました。
結果は残念。
家族に対する暴言だけでなく、私が不在な時に、小学生の子供達にナイフを投げたりという危険な行為もありました。
そのようなことを相談しても
検査の結果、問題ないというのです。
むしろ、私たちが悪いような言い方をされました。このお医者様に不信感を抱いた私は、役所に相談する場所を求めました。介護認定されなければ、ケアマネさんもつかず、相談する場所が全くないのです。
驚きますね。
一番大事な状況なのに。
なぜ大事なのか?
それは、ここで早めにケアしていれば、母の認知に対する衰え(進行)を間違えなく抑えられたと考えています。
認知症ではないと診断された直後、別のお医者様からはきちんと診断をいただきました。
このように、振り回される毎日が半年ほど続いていきました。
その間、私と母、子供達と母の喧嘩は近所にも聞こえるようになっていったのです。
初期の認知症の本人をみる同居の家族をケアしてくれるお医者様も少ないですね。現時点では。私が会えなかっただけかもしれませんが。。。
またうちのように小さな子供がいる家庭で認知症患者が出た場合の難しさがありました。
認知症患者に対するマニュアルを読みましたが、小学生の子供達にその通りをさせるのは、難しいし、母親の私自身も仕事をして色々な悩みを抱え余裕がない状態。
恥ずかしながら、ゆとりのない状態であるため、母に対しても厳しい態度をしてしまうことはありました。
認めたくなかったのですね。自分の母が崩れて行く現実を・・・。